旧友からの連絡
元札幌市長の上田文雄さんが亡くなった、と札幌の旧友から連絡が入りました。
私が札幌にいたときに、仕事上で大変お世話になった方です。
「お世話になった」というより、あのときは「敵」とも言える状態だったのかもしれません。
考え方も生き様もまるで正反対の二人だったからです。
何度も会議で激論を交わしました。
でも今思えば、「本当にお世話になりました」としか言いようがありません。
こちらのHTBニュースの写真は、いったいいつの写真なのでしょうか。
私の知っている上田文雄さんとは随分違う印象です。
なにか、悲しいことがあったのでしょうか。
落ち込んだような顔つきでマイクに向かっています。
こんな上田文雄さんを見たのは初めてです。
報道機関は政治家の写真をたくさん持っています。
笑顔もあれば、怒った顔、泣き顔、はたまた追われて逃げ出す写真など、記事に合わせて写真を使い替えます。
例えば北海道新聞が政敵の私を取り上げるときは、わざと変顔を使います。
HTBは故人が輝いていた時の写真を持って無かったのかな・・・。
正しくは下記のような写真を使うべきでした。

上田文雄さんの思い出
冒頭に上田文雄さんに「お世話になった」と書きました。
私は一度だけ上田文雄さんと二人で飲みに行ったことがあります。
すすきので素敵な和食のお店に招かれ、個室で美味しい湯豆腐を食べました。
公契約条例という与野党が激しく対立する議案の採決を目前に控えた一日でした。
今だから話せる、ヤミの乱破こと敵と味方のヤミ会談です。
(注)「招かれた」と書きましたが、私からお願いして割り勘にしてもらいました。
あのとき私は、
「最低賃金は国が多額のコストを掛けて決めている」
「地方公共団体がお上の立場から下請けの民間企業に賃金を指図するのはおかしい」
「そもそも雇用と賃金は財政金融のマクロ的観点から考えるべき」
と学術的立場から公契約条例に反対しました。
東京大学で経済学を学んだ者として経済学的見解を述べるべきと思ったからです。
(注)経済団体から「献金してあげる」「選挙で応援する」などと、あの手この手で甘い囁きはありましたが、一切の支援を受けなかったことはこの際申し添えます。
上田文雄さんはススキノでは議案の話は一切なさりませんでした。
いままでの人生のことをいろいろお聞きしました。
詳しい話は忘れましたが、真っ直ぐな人だなと思ったものです。
でも、「市長の仕事は思ったよりつらい」とこぼしていたのを今でも覚えています。
札幌市役所には何万人もの職員がおり、3期12年市長を務めても、言うことを聞かない職員が多いのだそうです。
いつも強気な上田文雄さんも、実は意外と苦労されている様子でした。
そして会談の次の日。
本会議で私が当初の予定通り議案に反対した結果、一票差で公契約条例は廃案になりました。
経済団体は大喜びしました。
北海道新聞は憤り、私を執拗に攻撃してきました。
敗れた上田文雄さんは次の選挙に立候補しないことを決め、当時の副市長だった生え抜きの市職員・秋元克広さんを後継者に任命したのです。
私は秋元克広・副市長が上田市長に面従腹背する姿を何度も見ていたので、かなり驚いたものです。
その後のふたり
その後、札幌市議選に落選し浪人になった私は、裁判所で何度か、弁護士として活躍する上田文雄さんをお見かけしました。
上田文雄さんは私より二回りほど先輩ですが、札幌市長のときとは違う一段と凛々しいご様子でした。
一方で私は選挙に落選した上に裁判に負け、強制執行にも失敗し、裁判所ではさぞいじけた顔つきだったことでしょう。
ご挨拶もせずにその場を去りました。
その後、東京に引っ越すことになり、「あのとき挨拶しておけばよかった」と今でも悔やまれます。
この記事を書いているいま、私は富山の自宅におります。
昨日までの猛暑とは打って変わって涼しく、今夜は松虫が静かに鳴いています。
残念ながら、札幌で行われる明日の葬儀に参列することは叶いません。
上田文雄さんの生前を偲び、故人の御冥福を心よりお祈り申し上げます。


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